荒川の歴史

ここでは、足立区の荒川と社会の歴史をご紹介します。これらの年表は、「荒川の昔 水辺の記憶」(荒川の昔を伝える会編集)をもとに掲載いたしました。


1910年(明治43年)

関東地方に大雨、南足立郡全体に大水害。荒川改修計画が起こる。

1911年(明治44年)

荒川放水路起工

1912年(明治45年)

用地買収移転などの協議、および建設機械の製作購入などに着手

2月アメリカへ荒川堤の桜苗(五色桜)三千本を送る

1914年(大正3年)

8月 大暴風雨による浸水により放水路工事遅延

1920年(大正9年)

旧千住新橋、建設開始

1922年(大正11年)

3月11日 旧西新井橋完成

5月 王子電気軌道経営の荒川遊園地開園

1923年(大正12年)

旧江北橋完成

9月1日 関東大震災発生

1924年(大正13年)

3月 岩淵水門完成、隅田水門完成

6月20日 千住新橋の完成に伴い、荒川放水路全川にわたり通水する

小菅の渡し開通

1926年(大正15年)

小名木川閘門完成。東京電燈(現東京電力)の千住火力発電所完成(お化け煙突)

1928年(昭和3年)

市電(後の都電)、千住地域に乗り入れ

1930年(昭和5年)

荒川放水路完成

1931年(昭和6年)

9月 満州事変起こる

12月 京成電鉄上野線(日暮里~青砥)開通

1932年(昭和7年)

足立区設立(市郡併合により東京市域が拡大)

南足立郡の3町(千住町、西新井町、梅島町)と7カ村(綾瀬村、東淵江村、花畑村、淵江村、伊興村、舎人村、江北村)が足立区になる

1937年(昭和12年)

7月 日中戦争始まる

1940年(昭和16年)

荒川放水路河川敷の農地化進む

12月8日 太平洋戦争始まる

1943年(昭和18年)

東京が市制を廃止し都制を実施(市電から都電になる)

1945(昭和20年)

3月10日 東京大空襲

4月13、14日 千住地域に空襲

8月 広島、長崎に原爆投下

8月15日 太平洋戦争終わる

1947年(昭和22年)

9月 カスリーン台風

1948(昭和23年)

3月31日 荒川堤防敷地での耕作禁止

小菅の桟橋取り壊し

1949(昭和24年)

8月13日 千住の花火大会復活

1958年(昭和33年)

9月 狩野川台風

1959年昭和34年

9月 伊勢湾台風

1960年(昭和35年)

水質悪化で悪臭が立つため、花火大会は中止

1961年(昭和36年)

6月1日 西新井橋近代橋完成

10月 「足立区納涼大会」は区民芸能大会として、秋に開催となる

1962年(昭和37年)

5月 地下鉄日比谷線(北千住~人形町)開通

1964年(昭和39年)

京成本線橋梁~江北橋間の堤防かさ上げ

東海道新幹線開通

10月10日 東京オリンピック開催

1965年(昭和40年)

2月12日 新神谷橋と鹿浜橋が、片側だけ完成して開通

環状七号線が足立区に延びる

新河川法施行。「荒川放水路」は「一級河川荒川」となり、岩淵水門から下流の旧荒川を隅田川とする

1966年(昭和41年)

6月21日 江北橋近代橋完成

1968年(昭和43年)

都電三ノ輪線(21系統)廃止

5月10日 環七鹿浜橋完成

1969年(昭和44年)

12月 地下鉄千代田線(北千住~大手町)開通

1970年(昭和45年)

「水質汚濁防止法」制定。汚濁発生源の規制がなされ、荒川の水質が大幅に改善するきっかけとなる

大阪で日本万国博覧会開催

1975年(昭和50年)

千住新橋改良工事・扇大橋完成

1978年(昭和53年)

千住新橋かけかえ

1983年(昭和58年)

千住新橋完成

2000年(平成12年)

足立区荒川ビジターセンター開設

2005年(平成17年)

つくばエクスプレス開通

2008年(平成20年)

日暮里舎人ライナー開通

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伝馬船から飛び込む様子

千住新橋右岸下流部付近

荒木良二氏撮影(昭和10年ころ)